カテゴリ: 私の過去

不眠症です。昔から不眠症です。

今日はそのことについて

一つ目の闇
私の父は酒飲みでした。人が変わるほどに飲んでしまいます。

どのように変わるのかというと


・怒鳴る

・コップや皿を投げて割る

・寝ている私の部屋の襖を蹴る


と、よくある感じですね。

物心ついたころから記憶にあります。団地に住んでいましたので階段を上る足音が聞こえるのです。
で、いざ寝るときになっても眠れるわけがありません。いつ、あの足音がするのかと思うと怖くて眠れませんでした。


二つ目の闇

小学校にて一時期イジメにあってました。小三の最初がファイーストコンタクトで机に突っ伏した私の後頭部をランドセルの下にある留め金で思いっきり何度も何度も殴りつけるという事でした。後頭部は今も変形したままです。残りをざっと言うと

・給食準備中の時間に床にうつぶせになれと脅されてそうしたら何人もの男子に重なるように乗っかられ、体を圧迫される。パニック状態になった私は廊下に逃げ出し、大声で泣き叫びながら誰かに助けを請うが連れ戻される。そのことを見ていたある女子生徒が給食後に教師に相談するが何もない。

・上記の翌日。朝、教室に入ると下半身露出してみんなに見せろと脅迫。嫌がるがさらに圧力、暴力で従うしかなかった。

こんな感じなので放課後外で出くわしたらもっと悲惨な目に合うので外に出たくないが、そういう時に限って父親が会社を休んでおり、家も外も地獄状態。

小四に上がってもクラスはそのままだったので嫌でした。担任の先生も変わったのですが、逆に私が先生に怒られました。

結局、いじめっ子はとあることが原因で引っ越すこととなりました。そこでようやく解放されたと思いますが、中学・高校と人が異なる形でいじめられます。

小学生のころから自殺願望を持っていましたので今ではその願望すら麻痺しています。

あ、これでの不眠の理由は「明日になってほしくない」ただそれだけの理由ですが、私にとっては切実なことでした。

最後に、いじめた張本人は引っ越しましたが、私は名前を憶えております。許す、許さないとかはどうでもいいですが何かの形として必ず返したいと思います。

一応、前の記事を先に読んでください。

人間関係に対して非常に内弁慶なのです。正しく言うと「対人恐怖症」です。「中程度のうつ病」と診断されてから9年は経過しており、今も通院中です。

・なぜうつ病になったのか?

地獄その1
新人社員として右も左もわからない癖に物覚えの悪い私は毎日パートさんが私に対する悪い陰口を私に聞こえる声で言っているのを黙って耐えていました。5年以上耐えていました。
ほぼ同じ時期に入った同僚が要領が良く人懐っこい性格でもあったため、思いっきり比較されていたんだと思います。会社も組織が大きくなり、品証部が設立されてからが次の試練でした。

地獄その2
顧客からクレームが入ると品証部が動き、現場である私に製品不具合の発生、流出の原因調査を言われます。まず、それができないと毎日最速が来て地獄です。原因を見つけたら対策をするように言われます。と、簡単に書いていますが、原因を報告してもすんなりと受け入れてもらえず、対策を報告すれば細かい穴をつついてきます。それが十数回もありました。

地獄その3
生産増強の関係で新たに社員が増えました。後輩で年下でしたが、年齢的にも近いので上下関係とか気にしたくないです。彼は我が道を行くタイプでした。自分の都合に合わないと私に対してでも怒鳴り、非常に受けから目線でした。誤解のないように言いますが、その後はきちんと和解しております。

この辺で上下周囲の圧力に耐えられず、「中程度のうつ病」と診断されるほどにまでなっていました。ですが、まだまだ続きます。

地獄その4
初代部長はおっとりとした型で優しい人です。私はあまりかいわすることがありませんでしたが。

2代目部長は頭の回転が速く、非常に論理的かつ倫理的で説明していただくにも丁寧で優しい口調の方でした。何よりも部長自体が上層部に噛みつくほどの凄みがあったので面白い方で尊敬しておりました。

地獄の3代目部長です。鳴り物入りで入ってきて、常に私にとって直属の上司である課長の傍で仕事をしており、常に課長を怒っていました。なんか関わりたくないと思っていました。が、関わってしまいます。うつ病で休みがちな私に部長が突き付けてきたのは「社員からパートなってでも働くか?」「そのまま辞めるか?」という2択でした。考える余地すら与えられず迫られ前者の「社員からパートになって働く」を選択しまたが、どうにか私は社員のままでした。ここで部署異動をすることになりますが最後の地獄です。

地獄その4
異動先にはパートリーダーさんがいるのですが、この人最初は人懐っこい印象だったのがたった一つのトラブルで人が変わりました。とあるパートさんが検査した製品を移動しているときに転倒させてしまい、ほとんどの製品を破損させてしまったことから始まります。

本来であればエリア担当の私がそのパートさん及びパートリーダーさんに注意するのが役割ですが、転倒現場にすぐに駆け寄り、製品を回収・隔離などの作業指示及び補助をしただけでした。それは事故を起こしたパートさんが一生懸命で悪意があってやったことではないから、せいぜい慌てずに製品を移動するように注意する程度で済ませるつもりでした。移動に使う設備にも問題があったことでもありましたので。

ところが、例の後輩社員がパートリーダーを呼び、滾々と説教を初めてしまいました。その後帰るときの駐輪場にてパートリーダーさんに出くわし、長々と愚痴をこぼされてしまいました。ここからパートリーダーさんの態度が変わっていきます。

指示を出しても返事をせずに無視しているような雰囲気や、朝礼で今日の報告を私が話している時にほかのパートさんはこっちを見て聞いているのに、パートリーダーさんは顔を背けて話を聞いていない態度をとられるなどの物凄く舐められた態度をとられていました。

結局、私はその部署を離れて辞めるまでスタンドアローン状態でした。

全く仕事ができないわけじゃないんですよ。人にはできない事をやることで貢献すべく、ExcelのVBAを自力で会得して、電子機器とPCの連携や製品管理システム、生産状況のシステムなどを構築して提供をしていました。

物によってはケチ付けられて営業部のお偉いさんの所に行き、近くに社長がいるのにも関わらず底辺の自分が思いっきり怒鳴り散らしたこともあります。

この時点での自分は人と接する事に恐怖と嫌気がさしていました。唯一、心を許せたのは直属の上司である課長でした。うつ病の時にも色々と自分で調べて私にどうしたらいいかとかを相談していただいたり、課長なりに「私自身の人として接する方法」を考えていたんだと思います。1か月の求職や、突発的な休みでも文句を一つも課長は言うことなくむしろ心配していてくれました。

辞めるきっかけは会社規模縮小による早期退職制度が発表されたことです。私自身ここにいても何ができるのか?そして周りの人たちとうまくやっていけるのか?そしてこれ以上課長に迷惑をかけたくない。

で、辞めました。それでも人間不信とうつ病だけは残っていますが。

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